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2009年11月25日

現代の奴隷

HOME社会 > この記事

鶏口となるも、牛後となるなかれ。

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、
驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、
奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、
肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、
自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの
唯一の誇りを見い出しさえしている。

  ※リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて

   

鎖=屈辱のヒモ=ネクタイ、奴隷の衣服=ビジネススーツ、自らの唯一の誇り=就職先の優劣 ということなのだろうけれど、
鎖が奴隷の証なのではない
屈服するその心の弱さこそが奴隷の証なのだ


ただし、本当の富裕層というのはネクタイも締めないし、ビジネススーツも着ないのは事実。

雇われない生き方を選んだ自分にとって、屈辱のヒモを首に巻き付けていたのは遠い過去。
 
 
 
ソース:
リロイ・ジョーンズ 現代の奴隷 - Google 検索




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posted by しん at 00:15 | Comment(3) | TrackBack(0) | 社会 はてなブックマーク - 現代の奴隷
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この記事へのコメント
こんにちは、初めて書き込みます。
このお題の過去スレである
http://ton.2ch.net/employee/kako/1028/10288/1028845634.html
を読んでいて、ググってこちらのページに辿り着きました。
そこで、
「鎖が奴隷の証なのではない
屈服するその心の弱さこそが奴隷の証なのだ」
この言葉ですが、これは>>65からの引用でしょうか?
気になっているので、お聞きします。
Posted by QWERTY at 2009年12月04日 02:26
たぶん、そうだったかもしれません。
この記事は昨年の初夏頃に書いたものを加筆して更新し、日を改めて最近の日付で公開したものです。初めに書いたのは1年以上前のことなので、忘れてしまいました。
Posted by しん at 2009年12月04日 11:27
組織の中にいないと落ち着かない。
無所属だと他人は信用しないと思い込んでいる。これこそが奴隷そのもの。
Posted by 小柴立平 at 2014年10月15日 19:03
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