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2010年10月27日

書評「国民の遺書 "泣かずにほめて下さい" 靖國の言乃葉100選」

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国民の遺書  「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選

国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』を読了。

本書は東京・九段にある靖國神社が発行する「英霊の言乃葉」にまとめられているものを100編選定し、書籍としたものである。

靖國神社は、明治二年六月二十九日、薩摩藩・長州藩らの西南諸藩が明治政府樹立を目指し、徳川幕府らと戦った日本最大の内戦、戊辰戦争の戦没者を合祀するため、東京に創建された招魂社が、明治十二年六月に靖國神社と改称されたものである。

■靖國神社
http://www.yasukuni.or.jp/

招魂(しょうこん)とは、死者の霊を招くことを意味し、招魂社としての靖國神社は、その霊を永久に合祀するための社として、戦争事変のために亡くなった殉難者、戦死者を靖國神社に合祀している。

靖國神社に合祀されている英霊、御祭神は二百四十六万六千五百余柱。
通常、生きている人間の名前は氏名を記すが、合祀されている英霊たちは御祭神なので、氏名のうしろに「命(みこと)」という名をつけている。イザナキの命、イザナミの命、スサノオの命など、神様の尊称としての「命」である。

本書のもととなった「英霊の言乃葉」は、靖國神社でしか購入できないものである。
本書はその選集として出版社が発行するにあたり、責任編集者である小林よしのり氏を選者として出版社が依頼して一般書籍として発行された。

内容は、戦争中の戦闘あるいは戦争後、戦勝国により行われた報復的裁判の意味合いが強い戦犯法廷による死刑判決で散って行った人たちが両親、兄弟、親類、妻に宛てた手紙、遺書、日記である。
こうした書は、沖縄県糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」、鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」でも、同じように家族等に宛てた手紙を目にすることができる。また、靖國神社の「遊就館」でも一部を閲覧することができる。

■ひめゆり平和祈念資料館
http://www.himeyuri.or.jp/

■知覧特攻平和会館
http://www.city.minamikyushu.lg.jp/cgi-bin/hpViewContent.cgi?pID=20070920195935&pLang=ja


戦争という特殊な状況下において、ここに記された言葉については、いろいろな意見がある。

本書では英霊たちの書を掲載するにあたり、まえがきとして責任編集者による解説がなされているので、その「いろいろな意見」に対する意見をここに引用しておく。
絶望的に不利な戦況の中、決して生きては帰れない作戦に出撃していった若者たち。その境遇は、現在の平和な日常を退屈に生きている者とはあまりにもかけ離れたもので、その心情は容易には想像できない。そこにつけこんで、戦後の教育やマスコミは様々な虚像を作り上げてきた。特攻隊員は無駄死にを強いられた犠牲者だ。決して彼らは自らの意志で特攻していったのではない。彼らを美化してはいけない……と。それでは彼らが死を賭して残したもの、命と引き換えに伝えたものは何もないのか?彼らは「命を粗末に扱ってはいけません」という反面教師の教訓しか後世に残さなかったのか?

決してそんなことはない。『英霊の言乃葉』に収められていた特攻隊員たちのナマの心情は、戦後五十年以上にわたって作られてきた虚像をあっさり一掃してしまうものだった。

戦争論(責任編集者が記した書籍)』に寄せられた読者からの感想を見ても、特攻隊員の遺書を読んで泣いた、これで認識がまったく変わったというものが実に多かった。

反戦平和を唱えるサヨクは、「当時は検閲があったから、遺書には本心が書かれていない」などと言い続けている。中学校でそう言って『戦争論』を批判した教師もいるようだ。しかしその授業を受けた当時十三歳、中学一年生の少年は、わし(自分)にこんな手紙を書いてきた。

「だいたい、あの遺書読んでウソだと思うかな?私けっこう読書バカで今までかなり本読んだけど、二十三であんな凄い文書けないって。しかもそれをウソでなんて絶対ムリ。人は本心を心から述べた時、人の心をつかむの」

遺書に込められた真実性ぐらい、国語力さえあれば子供でも読めばわかるのである。


「読めばわかる」

これほど説得力のある言葉はない。
読んでもなお、書かれている言葉がウソだと言うひとは、感受性が麻痺しているか、長年にわたりマスコミが垂れ流してきた印象操作・歪曲報道に洗脳され、徹底的にサヨク思想に染まっているかのどちらかだろう。


本書表題である「泣かずにほめて下さい」は、本書で掲載されている英霊の遺書の一文から採ったものだ。
国家のために命を捧げることを本命とし、死を覚悟していくことを記したものだが、解説ではこう記している。
しかしこう書いてあるからといって、彼が本当に心の底から喜び勇んで、嬉々として戦場に向かったなんて思う人は、まさかいないだろう。いるとすれば感性が完全に鈍磨した、文学的素養ゼロの人である。

人ひとりの心の中には、「私心」と「公心」の両方が併存している。赤紙を受け取った瞬間、当然ながら「嫌だ、行きたくない」という感情だって湧いたはずである。そして内心には、大変な葛藤があっただろう。当然ではないか。まだ二十歳代で、本来ならこれからの人生に大きな希望が広がっていたはずなのだ。しかも当時の家族の絆は現在とは比べものにならないほど強く、情けは深い。自分が先立ってしまったら、残された父母がどれだけ悲しむかは容易に想像がつき、それを考えただけでも、身を裂かれる思いをしたであろうことは間違いない。

しかしながら、家族に宛てた遺書をしたためるに当たっては、そのような葛藤にすべてけりをつけ、覚悟を決めて、「公心」だけを記している。そして最後に、父母兄弟に告げるのである、「泣かずにほめて下さい」と。
この簡潔な文章の行間に、どれだけ複雑な心情が入り込んでいるか。それは百万言を費やしても到底表現できるものではない。



「現代日本が築き上げられたのは、先人たちの尊い犠牲の上にある」

靖國神社に参拝する政治家や一般の人たちには、こうした想いが前提にある。
桜の季節、みたままつり、春秋に行われる例大祭などの祭事には多くの人たちが参拝する。

中国は言う。「靖國神社には戦犯が合祀されている。それを神と崇めて祀るとは何事か」

しかし、戦犯として逮捕され処刑されていった人たちは、戦勝国によって行われた「東京裁判」や、国内外で行われた戦犯裁判にて裁かれたものだ。

これらは国際法上の根拠が一切ない、勝者が敗者を一方的に裁いたものであり、復讐の儀式であった。
被告とされた者の大半は冤罪でありながら、まともな弁護人もつけられず、不確実な証拠をもとにずさん極まりない審理により執り行われた報復的な裁判であり、ただのリンチであった。

東京裁判で有罪となった者は被告28名全員がA級戦犯、うち7名が絞首刑となり、BC級戦犯にいたっては、1061名が死刑に処された。

こうした戦後の戦勝国による裁判において死刑となった1068名は戦死者と同様とされ、靖國神社に祀られることとなった。ただ、戦死とはせず「法務死」とされている。

また、昭和28年、国内の遺族援護法により旧敵国の軍事裁判により有罪となった人は、日本の国内法では罪人とみなされないことが決定している。


マスコミは「靖國はA級戦犯が祀られている。由々しきことだ」という論調で報道し、現在の政権政党は中国に配慮して「靖國神社とは別の国立追悼施設を作るべきだ」との意見を掲げている。

GHQ占領以降に「敗戦国」としての自虐史観を刷り込まれ、戦後日本に蔓延してしまった反日的な思想は、日本人をとことん洗脳してしまっている。
長い期間にわたるマスコミによる捏造報道や歪曲報道、印象操作や世論誘導、日本の教育方針によりこうした経緯、事実関係を知らされてこなかった民間人は、靖國神社に参拝すること自体がいけないことだという論調を真に受けており、大変由々しきことである。

しかし、長年の刷り込みが誤りであることに気付いている人たちはこれまで少数であったが、いま多くの人たちがこの誤りに気付き、声を上げ始めている。



はじめて靖國神社に参拝したのは2年前の秋だったが、そのときの荘厳な光景はいまも忘れることができない。
地下鉄の出口を出て九段の坂を上ると、大鳥居があり境内の両側には木々が生い茂っていて、大都会にあることを忘れ、まるで森のなかにいるようだ。

長く広い参詣路を5分ほど歩くと、菊の紋章のある神門をくぐり、中門鳥居をくぐって拝殿に至る。

中門鳥居の左側には「社頭前掲示板」があり、靖國神社に祀られた英霊たちの遺書・遺稿が掲示されている。これは『英霊の言乃葉』に掲載されているものを毎月1通づつ掲示しているものだ。

かつて東京に住んでいたが、そのときは一度も参拝したことがなかった。
地方に居を移してからは一度参拝しなければという想いが強くなり、ようやく2年前に参拝することができたのだが、これからは東京に出掛けるときは出来るだけ時間をとって参拝に出掛けようと思う。できれば、英霊が桜花となって靖國に咲くと言われる春に。
この意志は、どんな国からも、どんな人物にも妨げられることはない。



本書は書店に行くと、サブカルチャーの書棚に収められている。
これは責任編集者である小林よしのり氏の著書に、「ゴーマニズム宣言」をはじめとするマンガと時事・歴史を組み合わせた新たなカテゴリーの書籍が多いことによるものだと考えられるが、この点がまことに残念である。

靖國神社が編集協力を行い、産経新聞出版が発行する本書がサブカルチャーに分類されるのは、なんともやるせないことだ。しかし、サブカルチャーと分類されながらも、本年7月31日に第一刷が発行されたのち、わずか1ヶ月を超えた9月3日において、既に第6刷を達成しているのは、驚異的なことであり、本書がいかに日本国民が読むべき書であるかを物語る。


本書は英霊たちの遺書・遺稿を記したものであり、先立つことを詫び、残された人たちに自分たちの命を無駄にすることなく、立派な家庭、国家を築き上げていって欲しいと伝えるものである。

昨今は親が子を殺し、子が親を殺し、親類を殺し、通りすがりの人を殺し、生まれてわずか数年で自ら命を断つ者が増えるなど、殺伐とした世の中となってしまった。

こうした日本になるとは思ってもいなかったことであるし、英霊たちもこのような日本になることは望んでいないはずだ。

第二次世界大戦において南西諸島方面で戦死した英霊の遺稿をここに引用する。
人間は無から生れて無に帰る。
人間は、如何にしていきるかといふことよりも、むしろ如何にして美しい死に方をするかを探し求めている。
人間は、自分の生活に未だ美しい夢が残されているうちに死ぬのが、人生の一番幸福な生き方ではあるまいか。
人間といふものは、何時でも楽に死ねるといふ確信がついて来ると、却っていつでも生きていたくなるものだ。
どんな悲しいことも、苦しいことも、割合平気で押しこらへて行くことが出来る。死は一切を清算する。そこには苦しみも、悲しみも、淋しさも存在しない。故に生きている中にうんと苦しんでみやう。悲しんでみやう。
かく考えれば、一日一日の生に脈々たる勇気が湧き非常に明るい世界が見出されたやうな気がする。腹の底から笑ってみたいやうな、愉快な気持ちになる。


これを読むと現代に生きる全ての人たちへのメッセージに思えてくる。
生きているうちにいろいろなことがあるのは当たり前なのだから、夢を描き、一生を全うせよと。



責任編集者である、小林よしのり氏は漫画家としてデビューし、「東大一直線」や「おぼっちゃまくん」などのギャグマンガの執筆から、「新ゴーマニズム宣言」という漫画と時事・歴史を組み合わせた著書の執筆にシフトしてきた。

これは、ギャグマンガを書くことよりも、現代日本に蔓延するおかしな風潮はなぜ起こっているのか、本当のところはどうなのか、どうすればいいのかと考えることが多くなり、それを伝えることが使命だと考えるに至ったからではないだろうか。

「ペンは剣よりも強し」との言葉どおり、日本人が親しんだマンガと文章とを組み合わせて、読者にわかりやすく伝え、日本人の意識と行動を変えようと努力しているかのようである。



人生も半分を過ぎたと思えば、自堕落でお気楽極楽に日々を無為に生きようという考えはなくなる。
人類の平和と繁栄のために、何を残せるのか。何を伝えればよいのか。いま何をすべきなのか。

この本を読んだ人が多くの共感を得て、自己をみつめて行動につなげることを願ってやまない。



国民の遺書  「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選
小林よしのり 責任編集
産経新聞出版
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おすすめ度の平均: 4.5
5 涙、震えが止まらない
5 桜のように散った武士(もののふ)の言葉は"重い"
5 日本国民必読の書
5 日本人が失くしてしまったもの
3 日本人の潔さ

 
 


タグ:書評



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posted by しん at 11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 はてなブックマーク - 書評「国民の遺書
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