■夫の収入比べて卑屈に 読売新聞「人生案内」
但し、うまく利用すれば飛躍させることができる。
あるとき、生活費や年収の話になりました。我が家の収入は、ほかのお宅と比較すると少なく、自由になるお金も多くないことがわかりました。
今まで不満を感じたことがなかったのに、急に他人をうらやむ気持ちが強くなってしまいました。それからというもの、他人と金銭的な比較をしては一喜一憂してしまいます。
比較して一喜一憂するのは、自分が変わろうという意思がないからである。変わるつもりがない、変えれないから他人を妬み、恨み、見下すようになる。そして他人に責任転嫁して攻撃するようになる。それはコンプレックスの一時的解消に過ぎない。
変われないのであれば、せめて気持ちだけでも、
三度の食事ができ、家族が健康なら、これ以上は何もいらない、と決めれば、それが尺度です。しあわせの単位でもあります。要するに、自分の望みをできるだけ小さくします。と考えられるようになれるのなら、そうすればいい。
ただ、上記記事にもあるように「これは案外難しい。」
前にも何度か書いたが、自分も所有資産において他人に妬まれることはある。会社員時代にそうした人に遭遇することは多かったが、「おなじ会社、職場にいるのだから、自分より持っているのはおかしい」「おなじ仕事しているのに、なんでお前が持っているんだ」と言って妬まれた。
しまいには「同じ空気を吸っているのだから、分け前を俺にも寄こせ」といわんばかりの連中もいた。
自分は放蕩し放題で努力も何もせず、相手の陰なる努力も何も顧みずに施しだけを受けようとする。
日本は民主主義、資本主義経済といいながらも、横並び思考、他人と同じことをしないと気が済まない人たちであふれた、実際は共産主義の国である。
他人と比較して、自分のほうが劣っている、悔しいと思うのであれば、相手を恨んだり足を引っ張ったりしてマイナス面に力を発揮するのではなく、自分を鼓舞して自分を飛躍させるようなことをすればよい。そこが人生の分かれ目。
関連記事
■人間ヒマになるとロクなこと考えない
ブックマークに登録 >>
